おはようございます!Learny Birds(朝活コミュニティ)の広報担当のももこ(@mmi_1228)です。Learny Birdsは東京都内と名古屋に拠点をもつ朝活組織。大手町サクラチームのイベントレポートをします。

2019年4月1日(月)、新元号「令和」の発表された初年度の朝は、渋沢栄一を学ぶ「近代日本経済から利他を学ぶ朝活」シリーズ第一回目を開催しました!去年の夏は第二次世界大戦の終戦を迎えた鈴木貫太郎首相。その時と同様に、一人の人間を取り上げ、その人の生きた時代背景、出来事、人物像などに迫ります。

 

渋沢栄一の生涯

渋沢栄一は「近代日本経済の父」とも言われ、明冶・大正期に活躍した指導的な大実業家(1840/3/16-1931/11/11)です。

1840年、武蔵国榛沢郡血洗島村(現:埼玉県深谷市血洗島)の農家に生まれました。江戸時代末期に一橋家に仕えて幕臣となり、パリへ留学。明治維新後は新政府に仕官。退官後、起業家として株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れると共に「道徳経済合一」を唱え、第一国立銀行をはじめ、約500もの企業の設立に関わります。また、晩年は社会公共事業の支援や民間外交などに熱心に取り組んだことで有名です。

渋沢栄一の立ち上げた企業

渋沢栄一が直接関わった会社・団体は648。後進会社・団体は403。その他合わせて、1839もの会社・団体に関わったといわれます。(出典:渋沢栄一記念財団ホームページ)今の時代にも残る、主な企業はこちら。

 

渋沢栄一の携わった事業領域は非常に幅広いですが、中でも力を入れたのは金融事業と社会公共事業です。事業領域別に割合を算出したところ、金融事業22%、社会公共事業16%でした。渋沢栄一が、起業家として最初に手がけたのが金融事業で、晩年に携わったのが社会公共事業

 

渋澤健氏が捉える渋沢栄一

(出典:創業手帳

「渋沢栄一が目指していたのは、民間力を通じて国力を高めること」というのは渋沢栄一の玄孫に当たる渋澤健氏。彼は、国際関係の財団法人から米国MBAを得て外資系の金融機関に勤務した後、米大手ヘッジファンドの日本代表を務め、現在はコモンズ投信株式会社の会長で投資家。

「明治維新後の日本の近代化には民間での価値創造が不可欠でしたが、個々では微力な存在を合わせて力を増す必要があり、また成長資金を経済社会へ循環させるために渋沢栄一は銀行を開業しました。最も有名な功績は、第一国立銀行の開業です。「銀行」というものはスタートアップでした。そもそも「銀行」という言葉自体も造語なので、その存在を説明するために使ったのは「銀行は大きな川のようなものだ」という例えでした。」(出典:創業手帳

 

銀行が動かした近代日本経済

「「銀行に集まってこないお金は、雫がポタポタ垂れている状態と変わらず、力を持たない。けれど銀行にお金に寄り集まり、それが再び流れていけば川になり、その川が合流して大きな大河になれば、強い原動力となり、産業発展を支えることができる。」このような説明を渋沢栄一がしていたと考えられます。」と渋澤健氏はいいます。(出典:創業手帳

 

第一国立銀行

第一国立銀行は、渋沢栄一が立案した国立銀行条例に基づき日本で初めて誕生した銀行です。銀行の初期の役割は、両替商でした。建物は、城のような屋敷のような大きな建造物でした。

1882年に日本銀行が設立されるまで、紙幣の発行は国立銀行が担っていました。さらに1897年に金本位制が確立し、貨幣・紙幣の交換体制が確立されたます。

 

ゼロイチのスタートアップ、そして153へ

当時、銀行はスタートアップ。江戸時代の藩札、明治政府の両、為替会社の紙幣などが様々に流通し混乱状態にあったのを救ったのが国立銀行です。当時の紙幣がこちら。

そして、国立銀行条例の条例改定からたった三年間のうちに、153もの国立銀行が全国に立ち上がります。両替の機能だけを担っていた国立銀行は、徐々に貯金・投資の事業を開始し、日本経済にうねりをおこす原動力になりました。

 

金融ビジネスの変遷

有象無象の貨幣・紙幣が存在し混乱を極めた社会で、国として統一された貨幣・紙幣に両替することで始まった銀行。戦後は投資事業に注力し、高度経済成長を実現しました。来たる令和時代は、仮想通貨の普及によって今一度、有象無象の貨幣時代に突入しようとしています。信用力(クレジット)を担保する技術が交換通貨の本質といえるでしょう。

 

コモンズ投信株式会社のビジョン

渋沢栄一の玄孫にあたる渋澤健氏が立ち上げたコモンズ投信株式会社のビジョンを見ると、渋沢栄一の想いに通じるものを感じます。近代も現代も表現方法やアプローチ方法が違えど、起業家としての精神的な面は学ぶところがあります。

「「今日よりもよい明日」のために持続的成長を促す善いお金を会社に循環させるという想いで2008年に産声を上げた独立系投信会社です。「個人の長期的な資産づくり」を「企業の長期的な成長」通じて応援する投資信託(ファンド)を運用しています。

私たちの考える金融の役割は社会に3つのお金の循環を生み出すことです。「家計・企業の循環」「世代間の循環」そして「営利・非営利の循環」です。」(出典:コモンズ投信株式会社ホームページ

 

まとめ

利他の観念なき者がいかに富を積んでも、国が富んだとは言われない。

「渋沢栄一訓言集」・一言集より

 

国を富ませたいと願う背景には、彼が江戸幕府の幕臣としてフランスのパリに渡航し過ごしたとき、当時の日本にはない立派な建物、服装、交通機関と、そこに集う様々な人の幸せそうな様子を毎日毎日、目に焼き付けていたことが想像されます。国や社会レベルの高い視座で変革を企むとき、利他の概念が必然的に取り込まれます。(詳しくは第四回の内容で扱います。)

 

以下、参加者の声を掲載します!

・銀行の初期の機能は両替商であり、預金と投資の概念は全く新しいものだったと考えられます。銀行に預金をする行為は、当時の人々にどのように思われたのでしょうか。

・第一国立銀行の創業を担った三井組は、江戸時代から有名な両替商である。競り売りをやめて、今の時代では当たり前の定価で販売を始めたのが三井組。当時としては画期的なイノベーションを興したといわれる大勢力だった。

・渋沢栄一の関わった事業の数も膨大で、築いた日本経済への影響は大きいのはわかった。何がこんなにも彼を突き動かしたのか?

・岩崎弥太郎と渋沢栄一では、渋沢栄一が好きだ。理由は、明治時代にすでに社会公共事業に数多く携わったため。しかも、投資活動だけでなく運営に携わるほどの熱意があった方である。渋沢栄一は、社会起業家といえる。

 

Learny Birds(朝活コミュニティ)では、渋沢栄一をテーマに四回にわたって勉強会を開催しています。次回の開催イベント告知はFacebookでご確認ください。

カテゴリー: 大手町サクラ

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